仏教でもっとも基本とされる経典です。300文字足らずの中に仏の神髄が記されています。
白隠禅師の教えが集約された和讃です。般若心経と共に座禅会で唱和されます。
私が深く帰依する不動明王の功徳が短く説かれた経典です。
観音様の功徳をわずか十句にまとめたお経なので、簡単に覚えられます。
主に禅宗で食事の前に唱えます。道徳的普遍性の高い文ゆえ多くの分野で引用されます。
仏教における四つの誓いです。各宗派で読まれています。

 

【 般若心経 】

【現代訳】


観自在菩薩がかつて仏の智慧の完成を実践されたとき、
肉体も精神も全てが空であることを照見され、あらゆる苦悩を克服されました。

舎利子よ。存在は空に他ならず、空が存在に他なりません。
存在がすなわち空で、空がすなわち存在です。感じたり、知ったり、
意欲したり、判断したりする精神のはたらきも、これまた空です。

舎利子よ。このように存在と精神の全てが空でありますから、
生じたり滅したりすることなく、きれいも汚いもなく、増えもせず減りもしません。

そして、小乗仏教においては、現象世界を五蘊(ごうん)・十二処・十八界
といったふうに、あれこれ分析的に捉えていますが、すべては空なのですから、
そんなものはいっさいありません。また、小乗仏教は、十二縁起や四諦といった
煩雑な教理を説きますが、すべては空ですから、そんなものはありません。
そしてまた、分別もなければ悟りもありません。大乗仏教では、悟りを開いても、
その悟りにこだわらないからです。

大乗仏教の菩薩は、仏の智慧を完成していますから、その心にはこだわりが
なく、こだわりがないので恐怖におびえることなく、事物をさかさに捉えることなく、
妄想に悩まされることなく、心は徹底して平安であります。また、三世の諸仏は、
仏 の智慧を完成することによって、この上ない正しい完全な悟りを開かれました。

それ故、仏の智慧の完成はすばらしい霊力のある真言であり、優れた
真言であり、無上の真言であり、無比の真言であることが知られます。
それはあらゆる苦しみを取り除いてくれます。真実にして虚妄ならざるものです。

そこで、仏の智慧の完成の真言を説きます。

すなわち、これが真言です。

「ここだ、ここだ、今ここが悟りのど真ん中だ。今ここに完全な悟りが成就している。悟りよ、幸いなるかな。」

*訳文はひろさちや氏による。最後の一文のみ政栄宗禅老師訳より

 

【 白隠禅師和讃 】

 

【 仏説聖不動経 】

 

【意訳】


この時、大会に一人の明王あり。この大明王は大威力あり。
大悲の徳の故に青黒の形を現じ、大定の徳の故に金剛石に座り、
大いなる智慧の故に大火焔を現わしたまう。大智の剣を執って貧瞋癡を害し、
三昧の索を持して難伏の者を縛す。無相の法身は虚空と同体なれば
その住処なく、ただ衆生の心想の中に住したもう。衆生の意想は
各々不同なれば、衆生の心に従ってしかも利益をなし所求円満せしめたまう。
その時大会はこの経の説くを聞き、皆、大いに歓喜して信受し奉行せり。
仏がお説きになった聖なるお不動様の経

 

【 延命十句観音経 】

【意訳】


観世音
観音菩薩よ

南無仏
すべてを観音菩薩にお任せいたします。
南無・・帰命。命を帰す。この小さな命をお返しします。

与仏有因 与仏有縁
私たちも仏と同じ境地に到る,因と縁をもっています。
すでに仏と同じ安らぎの縁の中にあります。

仏法僧縁
仏法僧の三宝とも縁で結ばれています。
仏,仏の教え,仏教徒の集まりが三宝。

常楽我浄
永遠で,平安(安楽)なる,不滅の主体,浄らかなる観世音菩薩よ
・・本来仏教は諸行無常を説く。諸行無常とは「すべてのものは移ろいゆく」という意味。
それがここでは無常ではなく「常」,永遠を説く。
移りゆく世界の中に永遠を見る大乗仏教の精神である。この「はかない」己が「永遠」と深くつながっている。

・・この世は娑婆世界(苦しみの世界)というのが仏教の教え。その苦しみのど真ん中に平安を観じる心。

・・無我(我は存在しない)を説くのが仏教。ここでの「我」は,小我に対する「大我」。この小さな,いつか消えゆく自己が「大いなる命」と一つながりであるという大乗の教え。

・・この世界を穢土(穢れた世界)と観じる仏教。「厭離穢土,欣求浄土」から「穢土即浄土」と観じる心。この穢れた,争いの絶えない,醜い世界をそのまま浄土と観じる。朝念観世音 暮念観世音
朝に暮れに観世音菩薩を念ぜよ

念念従心起
観世音菩薩は,私たちの一念の中にいらっしゃいます
「念」とは「今の心」。過去はすべて今の自分に収斂している。未来は今の積み重ねの末に来る。大切な「今・今・今」

出来上がりの善し悪しを観音は問わない。今をきちんと生きる事が「悟り」である。あれこれ追い求めてばかりで,今を疎かにする生き方が「迷い」である。
「今」の一念が,自己の心の中の観音菩薩の現れ。

念念不離心
観世音菩薩は,私たちの一念一念の,この心を離れずにいらっしゃいます
このまま観音菩薩と一心同体の自分。
この心身はいちいち,「あれしようこれしよう」と思わなくても無心に働いている。それがこの心身の観音菩薩の様子。

(政栄宗禅老師訳)

【 五観之偈 】

現代訳 】


 一つ目には、この食事が調うまでの多くの人々の働きに思いをいたします。

 二つ目には、この食事を頂くにあたって自分の行いが相応しいものであるかどうかを反省します。

 三つ目には、心を正しく保ち過った行いを避けるために、貪りの心を持たないことを誓います。

 四つ目には、この食事を、身体を養い力を得るための良薬として頂きます。

 五つ目には、この食事を、仏様の教えを正しく成し遂げるために頂きます。

(訳出はWikipediaよる)

【 四弘誓願文 】

【 意訳 】


  命あるものは限りなけれども、誓って救わんと願う

  悪しき心は尽くることなけれども、誓って断たんと願う

  御仏の教えは量りなけれども、誓って学ばんと願う

  悟りの道は高けれども、誓って成さんと願う