高校1年の晩秋、今まで友人らと格闘技の真似事をしていた私は、本格的な武芸を求め、書店の格闘技コーナーに足を向けました。しかし気が進まないままに、なにげに一番左の空手教本に手を伸ばしかけました。ところが指が届く直前、背後を通った人が私に軽く当たり、その弾みでその左隣わずか1寸足らずのところにあった別の黒い本に触れました。全く気付かなかったその本こそコーナーの一番端の本でした。タイトルは「秘伝 戸隠流忍法」。真剣に武芸を求めていた私にとって、「ニンジャ」はあまりにもばかげていましたが、何か悪い冗談だと思いつつ、触れたついでに読んでやろうと、おかしさをこらえながら棚から取り出しました。それが最初のきっかけです。

 

 

年も押し迫ってきた12月、一念発起して「ニンジャの宗家」という、ちょっと想像も付かないような方に手紙をしたためました。そして返事に記載されていた、一番近い道場に電話をしました。当時私は一般の人と同様、ニンジャと話しをしたことがありません。相当緊張していたので、辛うじて場所と時間だけは確認できました。
  2月の土曜日、早く武道館に行きました。「忍者の先生」とはどんな人か、想像力を総動員をしてみました。多分、忍びの非情な掟の中に生きている方で、カミソリのような強面で、怖そうな弟子をぞろぞろ連れている黒装束の軍団ような感じではないかと真剣に考えていました。


 

入口で待っていた自分に声をかけてきた人がいました。年の頃は40代半ば、にこにこしていました。工場に勤務しているのでしょうか、あちこちに鉄粉と油のシミが付いているねずみ色の作業着を着ていて、近寄るとその臭いがしました。古びたスポーツバッグを手にしています。「あなたが碧洲齋さんですね?」「は?」びっくりしたような私に対して、彼はにこやかに名乗りました。私は遠慮がちに失礼のないように彼を頭のてっぺんからつま先まで眺め、一瞬後悔しました。私は「はぁ」と言い、想像と現実のギャップがかなり断絶していることがおかしいのと、失望感と混乱でぽかんとしたまま見つめるだけでした。どう答えたらよいのか、返答に困っていると「忍者は忍者らしくしないことが、大切なんですね。」と先生は言いました。

人生には何度か、衝撃的なことがあると言いますが、この時の衝撃は多分死ぬまで忘れないでしょう。その言葉で『あっ!この方こそ生涯、自分の先生だ!』ととっさに悟りました。これが現在師事している先生との出会いです。

 

 

わずか1寸の偶然でその後、私の人生は信じられないほど大きく変わりました。戦いにおいても槍剣をかわすのはたった1寸です。道を切り拓くきっかけも多分、1寸程度なのでしょう。その時、若さと道を求める真剣さ、それに僅かばかりの運があったのだと思っています。そして宗家、現在の先生をはじめ、の他の先生方、同門の方には今に至っても感謝は尽きません。

不動庵 碧洲齋

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