私は武芸をごく単純に定義しています。

つまりいかなる制約もない戦いが「武芸」

それ以外が「格闘技」だと考えています。

従って武芸と格闘技のどちらが強いかという問題は、前提が全く違うために、設問としてはあまり意味がありません。

そもそも弱い人間が強い人間を、なるべく楽に人を殺して、あわよくばメシの種にしようとする、しょうもない魂胆と悪知恵が武芸の発祥ですから、映画やドラマと違って実際の動きは相当淡泊です。それ故に形式美を重んじる事には感心しません。

武芸者が生涯を賭けて探し続けるべき本来の目的は平和、戦乱を問わず、強さの意義、生き延びる術だと思います。深遠な哲学は後からいくらでも付いてきます。武芸に権威や利益を求めたら、それは本筋から完全に逸脱した「不芸」と化してしまいます。

私は武芸者がいかなる集団に所属し先達より礼を尽し学ぼうとも、先生が弟子に心血を注いで指南しても、しょせんはその者だけが体得した武芸だと考えます。流派は流派であって雨露しのぐ大樹ではありません。ただ流れを以て田畑を潤すが如く、人の道にも然るべき道筋があることは言うまでもありません。故に私は武門では「君子は和して同せず。」の如くありたいと思っています。

 

現代においては武芸を通して何らかの哲学を見いだし、人生に役立てられるものを、できたら楽しみながら活かせればよいと思っています。殺し合いに使えない武芸はもとより、殺し合いにしか使えない武芸は、どちらも究極の武芸としては全く「不芸」です。

中国兵法「孫子」はよく知られています。著者の孫武はまさか自分の著書が2500年後に全世界に広がり、ビジネスの教本にされるとは思ってもいなかったでしょう。このようにいかなる時代でも変幻自在な武芸こそが、真の武芸だと思っています。

 

不動庵 碧洲齋 記